頭良い人と悪い人のそれぞれの思考パターンは?

毎日毎日、いろんな事を考えていて、毎日気付きがあります。

ここ何年かは、煽り運転などアホな事をする人が増えています。
で、否が応でもアホな人の思考パターンというものがわかってきました。

その反対に、頭の良い人の思考パターンというのも。
今日は、それを備忘録として残しておこうと思います。

スポンサーリンク

目次

頭が良い人の思考パターンは?

まずは、頭が良い人の思考パターンから。

頭が良い人は、最初から頭が良いワケではありません。
脳を使わなければ、脳は退化していって、

凡人

にはラクになれるでしょう。

私は、旦那さんと結婚した当初、こういわれました。

「お前は頭の使い方を知らんねんやろうなぁ…」と。

使い方?脳って意識して使い方をコントロールするものなの??
って思った記憶があります。

学校では、知識を丸暗記する事を主とし、協調性のために個性を殺して我慢する事を教えている気がします。

しかし、個性をただ解放したからと言って、わがまま一辺倒になったり、違う方向に頭を使うのでは、本当の脳の宝物を手に入れることはできないのだと思います。

頭の良い人は、

自分の成長(脳・精神力等)

を人生の目標とします。

脳の成長…それは、記憶力と思われがちですが、違います。

考える力(チカラ)

です。

一人でも不自由しない問題解決能力と新しい考え方の模索、

また、自分が興味を持った研究を追求する根気、集中力。

頭の良い人は、

自分に集中しているのです。

だから他人にそんなに興味がありません

 

アホな人の思考パターンー遺伝子レベルで違うの?

 

それでは、アホな人の思考パターン…。それは、

他人に興味を持ちすぎる(他人に左右される)

この一言に凝縮できる、と私は考えます。

アホな人は、感情に振り回されます。

はっきり言うと、

理性的ではない

のだと思われます。

そして、自分の頭で考えて答えが出ないので、他人に振り回される事になります。

また、最近すごく思うのが、やはり頭の良い方というのは、

人の気持ちがわかる

という事です。

なので、「いじめ」が出来る人というのは頭が悪い証拠なのですね(いじめる側に問題がある、というのは西欧では昔から言われている事で、いじめをしている人の親を呼び出してカウンセラーと話すように促したりもするそうです)。

 

でも、殺人鬼の中にはIQが高い人もいます。

私は、そういう人はもう遺伝子レベルで、

頭の使い方を間違えている人

なのだと思います。

 

私は思うのですが、頭が悪い、という中でもレベルがあって、

最低だなーコイツ、と思うレベルがやはり、

他人をいじめたり嫌がらせをしたり、嘘をついたり…、まぁ他人に嫌な思いをさせる人

が、カスレベルだと思うんですよね。

他人に対して思いやりがあって、思考力が足りなかったり判断力が足りなかったりする人というのは馬鹿にされやすいけど、私が思うのは、そういう人は「馬鹿」じゃないんですよね。

「まとも」になろうと頑張っている人、という風に見えます。

というか、「普通」だと思いますね。

(昨今は、この「普通」レベルの人にもなかなか会えません。)

 

他人の足を引っ張るとか、嫌な思いをさせている最低な人を頭が悪い、と私は考えます。

 

まとめ

 

例えば、嘘をついてる人に対してキレて怒る人というのは私は反対に尊敬できるワケですよ。

頭の良い人でも、勇気が無い人はそういう行動ができないワケですから。

さらに頭の良い人は、他人に対して興味が無いので、「怒る」という事すら起きないのかもしれないなぁ…と私は思ったりします。

その境地になるには、何度も生まれ変わって、レベルを上げていくしかないなぁ…と思うのです。

(正に「アホは死んでも治らない」というやつですね^^;)

 

別に「頭が良い悪い」とかは人生に関係無いのかもしれない…とも思ったりもします。

まぁ、頭が良いほうが生きやすいとは思いますが、「どう生きるか?」という事を自分の頭で考えて、そういう人生をどうしたら送れるか?というほうが重要だと私は気付きました。

人の足を引っ張ったり、お金のために不正をしたり…そういう事しか日々考えて生きてない人って、私にしたら理解に苦しむのですが、そういう事をしてる本人はきっと遺伝子レベルでそういう人生しか考えれない星の下に生まれたんだと思うんですよね。

こんな事書いてるけれど、きっと私も自分で気付かない内に他人を傷つけたりしてる事もあるんだと思うんですよね。
後で後悔する場合は、「成長」している証拠なのかもしれません。

人を傷つけて笑っていたり何も思わなければ、それは自分がカスレベルで、まだ人間として転生回数が少ないか始めてなのか…遺伝子レベルか…とにかく問題アリだと思うワケです。

そう思ったら、悩む、というのは悪い事では無いと思うんですよね。

昭和の人間は、「もっと楽観的に生きなきゃ」と口を揃えて言いますが、それは高度経済成長期にいたからであって、本当はそういう時にこそ後の事を考えてなくちゃいけなかったんですけど、風潮に流されて、現在はこうなってしまいました。

平成で色々試行錯誤がされましたが、日本の経済はあまり上がっていませんし、少子高齢化も加速しています。
令和の時代は、文字のごとく「令→零(ゼロ)」のなるかもしれませんね。

スポンサーリンク

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Facebook にシェア
LINEで送る
Pocket

コメントを残す

Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.